THE Hub-酒と学びとつながりと- レセプション「まちとキャリアと子育てと」イベントレポート 8/23(金)

目次

THE Hub-酒と学びとつながりと- レセプション「まちとキャリアと子育てと」

 みなさん、こんにちは!

 2024年8月、豊中・蛍池に“主人公として新しいことをはじめる1日オーナーと、もっとまちを、人生を楽しむ人のための場所”「THE Hub-酒と学びとつながりと-」がオープンしました。

 こちらの記事では、8/23(金)に行われた、THE HuBレセプションイベントの様子をご紹介します。 

 また、こちらの記事(リンク)では翌・8/24(土)に開催されたオープニングイベントの様子もご紹介していますので、ぜひ併せてお読みください!

豊中に恩返しがしたい!・THE HuB誕生のきっかけ

 まずは、オーナーである株式会社RFC代表取締役 伊吹から、「THE Hub」のご紹介とご挨拶を行いました。

「THE HuB-酒と学びとつながりと-」は、“主人公として新しいことをはじめる1日オーナーと、もっとまちを楽しむ人のための場所”です。

 HuBは、

  • 「H→Human」
  • 「u→HとBをつなげる矢印」
  • 「B→Base」

の頭文字で、「人と人、人と場所・まちをつなげる場」となることを願って名付けられました。

 昼・夜の二部制で、イベントBAR、レンタル店舗として、主人公として人生を楽しむまちの皆様がオーナーとなり、ワークショップを行ったり、テーマごとのつどいの場を開き、お酒を片手に学び、様々なつながりを広げることを目的としています。

 そんなTHE HuBをオープンした経緯について伊吹は

伊吹

(伊吹)「私はもともと『ロックスフォーチル(通称:ロッチル)』という、子どもたちの夢をかなえる・未来を輝かせるための音楽フェスを、豊中で開催していました。ただ、様々な事情やご縁が重なって、現在ロッチルは、ひらかたパークで開催されています」

(伊吹)「ひらパーに開催場所が移ったことで、お世話になった豊中のみなさんから冗談半分で『伊吹は豊中を捨てた』と言われることも出てきました(笑)でも、全然そんなことないんです! だから、『豊中に恩返しがしたい』、という気持ちで、素敵な人と人、人とまちがつながる場として、THE HuBを作りました

 それでは、ここからは「まちとキャリアと子育てと」をテーマにしたゲストトークの様子をご紹介します!

ゲストプロフィール

渕上桃子さん(団欒長屋代表)

蛍池を拠点に、子育て支援を中心とした多世代交流の場「団欒長屋」を運営。学童保育、保育所、こども食堂、無料学習支援など、幅広い活動を展開している。団欒長屋プロジェクトは、令和3年度 あしたのまち・くらしづくり活動賞 内閣官房長官賞を受賞。1児の母。

池田健二さん(ボーネルンド執行役員)

「あそびから未来をかえる」をスローガンに、あそび道具の販売やあそび環境の創出を通じて社会課題の解決に取り組む会社・ボーネルンドの執行役員。全国3万5千か所以上のあそび場のプロデュースや、大阪・うめきた2期「グラングリーン大阪」にオープンする「BørneLund PLAY CUBE」プロジェクトにも携わる。豊中市在住。2児の父。

ゲストトーク・渕上桃子さん(団欒長屋代表)

 まずは、渕上さん、池田さんにそれぞれ、ご自身の取り組まれている事業やご自身のキャリア、豊中との関わりについてご紹介いただきました。

団欒長屋って?

 団欒長屋は、豊中・蛍池にある、子どもを中心とした多世代交流の場です。学童保育、保育所、こども食堂、無料学習支援などの様々な事業を行い、子育て真っ盛りの現役世代と、ひと段落ついたリタイア世代の得意、困りごとをつなげ、地縁により助け合うまちの実現を目指しています。

渕上さんのキャリア・団欒長屋を立ち上げるまで

渕上さん

 (渕上)「もともとはバックパッカーとして世界を飛び回っていました。ただ、日本に帰ってうっかり結婚をしてしまい、すぐに離婚を前提とした別居をすることになりました。当時、私は無職で、娘は生まれたばかり。そんなとき、知り合いから『親戚の家で使っていないものがあるから、借りぐらししませんか?』と紹介してもらい、豊中に転がり込みました」

(渕上)「ただ、移り住んだ先はリタイア世代の方が多く、土地としても坂ばかりでした。同世代の仲間もいないし、おむつを買いに行くのも大変だし、何より、豊中はベッドタウンなので、昼間に頼れるような人がいませんでした」

伊吹

(伊吹)「そんな状態から、なぜ起業に至ったんですか?」

渕上さん

(渕上)「人生を立て直すためになんとか見つけた仕事が、天満にある、ひとり親を支援する企業でした。そこで担当することになったのが、豊中の魅力を発信するウェブサイト。しばらくは、天満に仕事に行って、豊中には寝るために帰る……でも豊中の情報を発信しなければいけない、という奇妙な状況でした。ただ、なんとか仕事をしているうちに、豊中のまちや人について知っていきました。今まではバックパッカーという根無し草として過ごしていましたが、子どもの成長をゆっくり見守りたい、豊中というまちになら根を下ろしてもいいかも、と思うようになりました。地域に根付いて、子どもの成長を見守りながら仕事をすることを考え、学童保育を立ち上げることにしました」

わたしと豊中・渕上さんの場合

渕上さん

(渕上)「ただ、もともとはよそ者ということもあり、最初は地域と距離感を感じていました。なにか活動をしても、遠巻きに見られているような感覚がずっとあったんです。でも、『もっと地域に入っていきたい』と考えたとき、以前取り組んでいた地域の魅力を発信するウェブサイトを思い出し、子ども記者に地域に取材に行ってもらう「だんらんしんぶん」というプロジェクトをはじめました。やっぱり、子どもたちの力はすごくて、だんらんしんぶんの取材を通じて、少しずつ地域との関係性が構築できました」

(渕上)「その後、小学生だけでなく、乳幼児の面倒も見られるように、保育士の資格をとって保育所を開設しました。また、保護者に対する支援にも取り組むようになりました。こども食堂や、コロナ渦以降は、夕飯付き無料学習支援、ひとり親家庭へのフードパントリー、多世代交流のイベントなども積極的に実施しています」

伊吹

(伊吹)「ぶっちゃけ、地域に根ざしてお仕事もするって、どうですか?」

渕上さん

(渕上)「自分もそのまちに暮らしながら、ご近所、ローカルでコミュニティ事業をやる、というのは、事業を始めて10年が経っても、難しさを感じ続けています。ボランティアさんとのやり取りや、ご近所さんとの調整など、色々と手間のかかることも多いです。ただ、その面倒くささ、一筋縄ではいかないところが、生活を営むということなのかな、と味わいながら、様々な事業を運営しています」

ゲストトーク・池田健二さん(ボーネルンド執行役員)

ボーネルンドって?

 まずは、池田さんからお勤め先の「ボーネルンド」についてご紹介がありました。

 今や、海外のあそび道具の販売や、様々なあそび場の運営など、子育て世代で知らない人はいないであろうボーネンルンドですが、実は、1981年設立(創業は1979年)の日本の企業なのです。(ここで、会場からは「外資ちゃうんや!」と驚きの声が上がっていました)

 高度経済成長期真っ盛りの当時、「人々の暮らしの豊かさ」、「あそび」というものの大切さがもっと大切になる未来の到来を見越し、創業されました。企業名は、デンマーク語で「ボーネ=子ども」、「ルンド=森」を合わせたものです。

 「あそびから未来をかえる」、「社会課題をあそびをソリューションとして変えていく」、「子どものワクワクを軸に解決していく」といったビジョンをもとに、「あそび環境づくり」「世界のあそび道具の販売」「あそび場の運営」「あそびの研究」の4つのビジネスに取り組んでいます。

池田さん

(池田)「僕が入社した23 年前・2002 年当時は、今ほどの知名度もなく、また『海外のおもちゃを売っているお店』というイメージがとても強かったと思います。そこから、お子さんをお持ちの方ならきっと行ってくださったことがあるであろう、あそび場の運営が広がり、室内あそび場の『キドキド』は現在、全国に16 か所あります。ただ、直営の売り場やあそび場だけでなく、幼稚園・保育所などの園庭、行政と連携した、公園や子育て支援施設のあそび場のプロデュースや施設管理、民間企業と連携したあそび場や、コミュニティスペースの開発など、日本全国で3 万5 千か所、子どもたちや多世代の参加者が集える場所をプロデュースしてきました。ようやく、事業がビジョンに追いついてきた感覚があります」

池田さんのキャリア・ボーネルンドに出会うまで

池田さん

(池田))「僕は、小学校6年生から高校3 年生までシンガポールで暮らしていた、いわゆる帰国子女です。ただ、シンガポールという国は、多様な民族と宗教が共存している背景から法律や規制が厳しく、また、僕が住んでいた当時30 年ほど前は、日本のように様々なエンタメもなく、青春を謳歌できるような環境ではありませんでした。その反動もあって、日本に帰国したあとは、海外生活で磨いた英語力を武器に関西外国語大学に入学したものの、青春を取り戻すように大学デビューに勤しんでいました(笑)」

(池田)「ただ、グローバルな経験もしていたので、大学に通って3年ほど経つと、日本が窮屈に感じるようにもなりました。そこで、卒業後はアメリカに留学するぞ、と決意し、4年生の間はひたすらアルバイトをしながら学費を貯めました。その間、『一応見てみるか』という軽い気持ちで、入社する気もないのに、色々な業種の就活にも参加しました。気負わない態度がよかったのか、いわゆる氷河期世代にもかかわらず、たくさんの内定をいただけましたね」

(池田)「アメリカに留学後は、州立大学の社会人コースで子どもの発達心理学やビジネスを学びました。その後、再び帰国し、自身の学びや関心を活かせることもあり、ボーネルンドに入社することになりました」

わたしと豊中・池田さんの場合

池田さん

(池田)「2002年にボーネルンドに入社し、原宿の本社に勤めていたので、15年くらいはずっと東京にいました。アメリカに留学し、東京に就職したこともあり、親元を離れて随分と長くなっていました。僕は一人っ子なので、いずれは親元に戻らねば……といったことも考えていた矢先、母親が大きな病気にかかってしまいました。覚悟を決めて、会社を辞めることも視野に入れて、『大阪に戻りたい』と会社に申し出ました」

(池田)「そんなとき、当時、大阪では「てんしば」のあそび場のオープンや、その他、行政の案件が複数立ち上がっていたこともあり、中西会長から『大阪はこれからくるぞ。ここで池田くんが大阪に行ってくれるというのは、渡りに船だ、ぜひ行ってくれ』というお言葉をもらい、実家のある大阪に戻ってきました。豊中を選んだのは、出張なども多いため、新大阪が近い、伊丹空港が近い、という地理的な条件と、あとは、子育ての事も考えて、大きな公園もある、というのが決め手になりました」

これからのTHE HuB/夢を夢で終わらせない・人と人、人とまちをつなぐ

  渕上さん、池田さんのトークを受けて、伊吹からお二人にとある質問を投げかけました。

伊吹

(伊吹)「ちなみに、地域での活動はされていますか?」

渕上さん

(渕上)「もちろんです」

池田さん

(池田)「恥ずかしながら、子ども関係のちょっとしたものしか……」

  この回答を受けて、伊吹から、

伊吹

(伊吹)「そうなんです! 池田さんみたいに、各所で活躍されていて、しかも豊中に住んでいるという人は意外と多いんです。でも皆さん、豊中には住んでいるけれど、お仕事はキタやミナミの方に出てしまって、地域でのつながりはあまり、というパターンが多い。これ、めっちゃもったいないと思いませんか?!

  伊吹の問いかけに、会場からは拍手が湧き上がりました。

(伊吹)「THE HuBでは、そういった、実は豊中に縁のある色々な人をたくさんつないで、豊中の新しいコミュニティを作っていきたいと思っています。すでに活躍している人、なにかやりたいことがある人、まちに住む様々な”主人公として人生を生きる”人々が集い、学び合う場として、ぜひ皆さん、THE HuBをご活用ください。夢を夢で終わらせるのをやめましょう! THE HuBは、それを本気で応援します

 THE Hub-酒と学びとつながりと- 8/23(金)レセプション「まちとキャリアと子育てと」イベントのレポートをお届けしました。

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 “主人公として新しいことをはじめる1日オーナーと、もっとまちを、人生を楽しむ人のための場所”「THE Hub-酒と学びとつながりと-」。みなさまとお会いできることを楽しみにお待ちしております。

 THE HuBの情報については、こちらの公式LINEで随時ご案内しています。ぜひ、友達追加して、気になるイベントに足を運んでくださると幸いです。

文章:増田ひろ
豊中の面白いひと・もの・ことを発信する市民メディア「#とよなかって」などで活動中。

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